当動画タイトルに、論理の破綻した言葉を並べるのは、人々に関心を持って頂くための「方便」、あるいは、仏教でいう公案「隻手の声」を意識した、思考を停止させて感覚知へと誘う、呼び水のような狙いがあります。この動画の真意は「考えるな感じろ」です。「感じる」ことで得られる、この世界の真実は、一般認識である「考える世界」とは、真逆にあります。
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00:00 Digest:日本の常識の逆を行けば今より健康になれる
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00:30 Preparation:台湾式足ツボは西洋思想、西洋医学
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07:22 Finger:ひまわり式足もみは中華思想、東洋医学
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10:12 Maine:台湾式の第一人者はスイス人キリスト神父。信仰と理性
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13:10 Shin&knee:中華の核心は考えるな感じろ。野生の哲学
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14:49 Ankle&Instep:理性と野性は相反する。常識となるルールが違う
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19:05 Finish:物理的問題は力で制するのが野生の哲学
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21:32 Half time:何事も力で解決。体調不良も生命力で万事解決
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22:02 Finger:歯石を取り除くのにイチイチ神経に触れるヤブ医者
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24:17 Maine:しかし我慢しなくていい。己を解放しろ
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26:41 Shin&knee:笑っていい、泣いていい、叫んでいい、暴れていい
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28:33 Ankle&Instep:自分勝手でワガママなのが一番健康にいい
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33:16 Finish:ひまわりは社会の調和より個人の健康を扱う店
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35:54 After treatment:ありのままがいちばん。あなたのままでいい
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▼店主の本体は説明欄にあり
動画の主役は店主にあらず。能弁を垂れる説明欄こそ、店主の居場所だ!
▼本質は「ヨーガ」東洋の哲学・医学
ひまわりの施術の本質は「ヨーガ」です。「振り幅の大きな緊張と弛緩」作用を、交互に繰り返し肉体に与えることで「突き立てのお餅のような」身体の弾力性を取り戻します。理論の背景は、純粋な「東洋哲学・医学」。店主のライフワークである「瞑想」で得た「気づき」と、18年の施術経験です。
▼常識に背を向ける「てもみ処ひまわり」
ひまわりの店主が半生で得た気づきを、誤解を恐れずに言えば、「一般常識の逆の見解の方が真実に近い」ということです。「世間の常識」というのは、単に多数派の意見か、あるいは「覇権争いの勝利者が、自らに都合の良いルールに改ざんした場合」がほとんどで、別段それが「正しい訳ではない」というのが、この世界の「正しい見方」となります。
真理を求める者は、長いものに巻かれず「犀の一角のようにただ独りで歩め」と、釈迦も言っています。世の聖者を敬い、独立独歩の道を歩む。それが「てもみ処ひまわりの方向性」です。
▼本当に大切なものは目に見えない
まず「桜の木」を想像してください。皆さまは「桜の木にとって一番大切なもの」は何だと思いますか? 多くの方が、可憐に咲き誇る薄桃色の花々に、心を奪われると思います。しかし、桜にとっての一番は、美しい花弁ではありません。大切なのは、普段私たちが「気にも留めない場所」に潜む、地中深くの「根っ子」です。
仮に、桜の木が切り倒されたとします。桜は切り株の状態にあっても「根本」さえ残っていれば、幹を含めて、全ての組織が再生可能です。しかし、根を掘り起こせば絶命します。このことから分かるように、本当に大切なものは目に見えない、私たちが「気にも留めない場所に潜んでいる」のです。
人も桜と同様です。本当に大切な、ただ1つ。「生命の根源」を理解できれば、他の全ては切り捨てても問題がなく、返って「自己の本性」は明らかとなり、生命力に溢れる、迷いのない人生を送れます。
「東洋の哲学」というのは、この「木の根元」のようなものです。世界の全てを創造可能な「一なる源」、根源的な存在を知ることにあります。
「東洋の医学」というのは、この「木の根元」のようなものです。健康の全てを包括する「根源的な生命エネルギー」でもって、あらゆる体調不良に対処します。
▼東洋と西洋、相反する真理
ひまわりの施術理論と実践は【純粋な東洋哲学・医学】を基盤とします。それは「世間の常識とは真逆の主張」を意味します。なぜなら「全を一に統合する」働きの東洋の哲学・医学は、「一を全に分離する」働きの西洋の哲学・医学とは「相反する性質を示す」からです。
▼西洋的探究は「考える」世界
世間の多数派の見解は【西洋哲学】です。その本質は「獲得」にあります。他のキーワードは「分離」による二元性・相対論。「理性」「文明」「科学」。「自我」による「思考」。
哲学の基盤は、ソクラテスの「無知の知」に始まり、「知らない」ゆえ、学問的な探究は終わりなく続きます。「アキレスと亀」の逸話のように、真理との距離を縮めるが、決して到達することはなく、歩みを止めることはない。文明的で進歩的、科学的な真理の探究は、際限なく膨張し、分離し、細分化されます。それらの知識は、言語・数字・記号でもって整理されます。
理性に従うため「客観的」に、物質次元ゆえ「外面的」に、樹木から枝葉が伸びて分かれるように「遠心的」に力が働く。前述した7つのキーワードを含む、最も身近な例は「インターネット」。拡張と分離を繰り返す「西洋的探究」に、終わりはない。
▼東洋的探究は「感じる」世界
一方、世間の少数派は【東洋哲学】です。その本質は「放棄」にあります。他のキーワードは「統合」による一元性・絶対論。「野性」「自然」「霊性」。「無我」による「気づき」。
真理の探究は、あらゆる物質的な繋がりを「放棄」し、精神的な想念も含めて「放棄」し、人間の証である自我をも「放棄」します。自我を失っても、なお世界に存在する、唯一の実在こそ「絶対の真理」です。
原始的で霊的な真理の探究は、理性を超越しているため「主観的」に、精神次元ゆえ「内面的」に、樹木から枝葉を切り落とすように「求心的」に力が働く。あらゆるものを放棄すれば、世界の全ては統合され「ただ1つのもの」へと集約される。世界の根源たる「純粋意識」の存在に気づき、そこに留まる(合一する)。それゆえ「東洋的探究」には、終わりがある。
▼考えるな感じろ!世界は反転する
上記にて言及する「東洋哲学」は、世にいう「聖者の境地」です。聖者の境地は鮮やかなほどに、世間一般の物事の見方とは「正反対」です。以下は、最古の仏教聖典「スッタニパータ」、ヒンドゥー教の聖典「バガヴァッド・ギータ―」、20世紀最大の覚者「ラマナ・マハルシの教え」からの一節です。
・「ある人たちが真理と考えるものを、他の人たちは虚妄と考える」というのが一つの考察であり、「ある人たちが虚妄と考えるものを、他の人たちは真理と考える」というのが、もう一つの考察である。
・聖者たちは、ものごとの消滅を安楽と考えるが、これは世間一般の人の見方とは正反対である。一般の人が安楽と見なすものを、聖者は苦しみと見なす。一般の人が苦しみと見なすものを、聖者は安楽と見なす(原始仏典、二種の観察より)。
・あらゆる生物が夜としているときは、物欲を捨てた賢者にとって昼である。あらゆる生物が昼としているときは、見真者にとっては夜である(神の詩より。以下は解説。物質次元で生活している大衆が「真」と見るものは、真理を体得した人にとっては妄想である。般若心経の「遠離一切顛倒夢想」と同義)。
・ただ意識だけが存在する(それ以外は虚妄である)。
▼孔子先生、ブチ切れる。言葉をなにがしろにするな!
以下は「論語」の一節です。
奴らは、儀礼のための酒杯を、勝手に茶碗に取り替えて、お神酒をがぶ飲みしている。儀礼にかこつけてお神酒で酔っ払いたいというなら、それはそうしたらよい。
しかし許せないことに連中は、それは「茶碗」と呼ばないで「盃」と呼んでいる。あれのどこが「盃」なのか。あれのどこが「盃」なのか(雍也第六25)。
「足ツボ」という名称で、世間に定着している健康法も、本来のツボの意味である「経穴」とは、全く違う意図で使われています。又、本来の東洋医学とは、似ても似つかない、かけ離れたモノが「東洋医学」だと、世間では認知されています。
別段、この業界に限らず、この世界の表層的な情報は全て、含蓄溢れる論語の一節にて、包括されているように思えます。
それゆえ、ひまわりの店主が大切にしているのは「感じる世界」。目に映る情報に「真実」は、ありませんので。
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#足つぼ について
世間で「足つぼ」「リフレクソロジー」の名称で呼ばれるモノは「神経反射」を意味し、当店で提供している「足もみ」は業界の間では名称の使い分けをする「血液循環」を主体とした足揉みの呼称です。それらの呼び名の違いを認知して、なお動画タイトルを「足つぼ」とするのは「足もみ」には検索ワードとしての価値がないためです。紛らわしいかと思いますが、ご了承のほどお願い致します。
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